top of page

初めて習う “茶碗とピラティス”



初心者というと、いつも思い出すことがあります。

介護予防の事業をお手伝いしていた時の事です。

参加者に運動指導をしていたのですが、80歳代の参加者の1人が

最初の挨拶で「先生!私は習い事はいつも純粋な気持ちで受けてます。」と

当時、年齢にして半分以下の人の指導を、まっさらな気持ちで受けるって

なかなか出来る事ではないと、とても感心したのを思い出します。


それから禅の本を読んでいる時に“茶碗を空にする”を読んで大いに感銘を受けました。



この話は生徒には4種類のタイプがあり、それを茶碗を隠喩して説いています。


最初の茶碗は

“伏せてある”です。

学習するために学びにきているのに、注意は他のところにあり別の事を考えていて

内容がまったく頭に入っていない。

茶碗は常に伏せてあり、いくら水を注いでも空っぽである。


2つ目は

“茶碗は上を向いているが、穴があいている”

学習はするが、内容をきちんと咀嚼し、消化し、深く胸に刻んでおく事ができない。

習った事が、耳を素通りしてしまう。


3つ目は

“茶碗は上を向いていて、穴も開いていないが、内側に汚れがこびりついている”

学習することは、自分の解釈で捻じ曲げ、自らの先入観に合うように解釈する。

自分の考え方と合致しているのを再確認しているだけである。

自分の考え方と異なる新しいことはすべて、反発するか、無視するか、おろそかに

する姿勢を象徴している。


4つ目は

生徒としてあるべき姿を象徴。

“この茶碗には穴はなく、教わったことはすべて保持される。汚れてないから、新しいことを進んで知ろうとする”


4つ目の茶碗は、まさに80歳のおばあちゃんの境地ですね。

自分もそのような気持ちで常にいたいと思いますし、いるように努力したいです。


ピラティス・ヨガの習い事に関わらず、人生をよりよく上手く生きていくための

参考にしてみてください<m(__)m>


current studio

YOOHEY

閲覧数:17回0件のコメント

最新記事

すべて表示

تعليقات


bottom of page